その291)「支援」とは「弱い」から行なうのではありません。

 

 

『元気先生、支援というのは 弱い人を助けることでしょうか?』

 

 

時々 僕も こうした質問を受けることがあります。

 

 

 

『支援』とは

 

「相手が弱いから 手伝い、支えること」

 

ではないと僕は思っています。

 

 

 

弱いや強いはないと 思っているからです。

 

 

 

もちろん、身体の大きさが違って

 

力が強い、弱いは あるかもしれません。

 

 

 

 

でも 「支援」という言葉の中には

 

そうした 弱いや可愛そう、という意味は含まれていないのです。

 

 

 

皆さんも きっと こんな経験はないですか?

 

信号待ちの車から ふと 近くのグランドで ソフトボール大会をしている

 

こどもたちがいる。 一生懸命 汗を流して 頑張っています。

 

 

 

思わず こころの中で  「がんばれ!!」

 

そう思うこと。

 

 

 

 

歩道を歩いていると、近くの高校生がマラソンをしていて、すれ違っていく。

 

汗を流して、一生懸命にがんばっている。

 

 

声をかけなくとも  こころの中で 「がんばれ!!」

 

そう 思うことは ないですか?

 

 

 

人は 誰でも 頑張っている人を応援したくなるものです。

 

 

そして

 

 

「頑張れば 応援される」のです。

 

 

人が 強い 存在なのか、 それとも 弱い存在なのか

 

それは わかりません。

 

 

 

でも みんな 自分の人生のフィールドを

 

一生懸命 走っているのです。

 

 

 

だから 応援したくなる。

 

 

 

それが 「支援」なのだと 僕は思っています。

 

 

 

 

「応援」は、少し離れたところからですが、

 

「支援」は もっともっと その人に近づいて その人の側にいて

 

応援すること です。

 

 

 

「頑張れば応援される。」

 

 

そこには 強いも弱いも ないのです。

 

 

 

 

周りを見回してください。

 

 

今から 100年前には  そこにいる みんなは

 

この世界には 存在していなかったのです。

 

 

 

そして、100年後

 

おそらく もう みんな この世界には いないと思います。

 

 

 

 

僕らのつきあいは この長い歴史の中の

 

 

たかだか 「この100年」の付き合い なのです。

 

 

 

 

だから 応援したらいいのです。

 

 

 

それぞれの人が 好きな道を歩んで

 

好きな人と一緒にいて  好きな食べ物を食べて

 

好きなことを見つけて 楽しむこと。

 

 

 

互いに応援しあえばいいのです。

 

 

 

「支援」とは そんな難しいものではなく

 

人に対する「愛情」そのものなのです。 (げんき)

 

 

 

 

助け合いや支えあいの「あい」は、「愛」なのです。(げんき)