その345) 「耳の痛いこと」は それほど大きなことでは ないのです。




「相手から喜ばれる人」 になる。



これは どんな人間関係であっても、 人と人とのつながりであっても


誰もが きっと こころの中で目指しているものです。





「相手から喜ばれる人」というのは  実は 2つのパターンが あります。



それは


①相手に有益な情報を与えてくれる人


②耳の痛いことも正直に伝えてくれる人



この2つのパターンです。




この2つは 「相手から喜ばれる人」の2つの特徴です。




①の相手に有益な情報を与えてくれる人



これは 誰でも 喜ばれます。


有益な情報を与えてもらって 嬉しくない人は たぶん いないはずです。


そして、 情報を与える側にとっても 負担もデメリットもないので とても 楽なものです。





難しいのは、、、  


②の耳の痛いことも正直に伝えてくれる人 です。




人は 誰でもそうですが、


相手が気にしていること、相手が抵抗を感じていること を伝えたり


時には 注意をしたり、 正しい行動を促すことに 躊躇してしまいます。




自分が悪く思われないか、、という思いもあるでしょうが、


やはり、 相手の気分を害してしまうことに ためらいを感じてしまうからです。





保護者との関係や 先生同士の関係の中で


この「耳の痛いことを正直に」伝えなければならない機会というのは  きっと 多いはずです。




本当は 伝えたくないのですが、、、


伝えなければ また 何か 不具合や問題が発生するかも知れません。。。。



やっぱり 伝えないといけないのです。




「元気先生は、そうした場合には どのように伝えていますか?」


よく 先生からも 質問されます。




もちろん、 伝える内容は 同じです。



「伝えなければならないこと」というのは 同じなので、 他の先生と同じように


正直にお伝えします。


この点は  何も 変わりません。





ただ、その後には 必ず 自分の思いを伝えています。


「どうしても ○○になって欲しいと思っています。」


そう 伝えています。




それは 「自分にとって」ということでは もちろん ありません。


自分の都合や園の都合で こうして欲しいということでは ないのです。



「私は ○○さんに こうなって欲しい」 という


相手への想いであり 期待を込めた 「ことば」を贈っているのです。




このやり方で すべての場合が うまくいくことは ないかもしれません。




でも、、

一つだけ 間違いないことが あります。





それは「他人から期待されている」と感じられた言葉は

深く深く 相手の中に残っている ということです。





他人から愛された言葉や 期待や想いをかけてもらった言葉は

他の言葉とは別の、 脳の中の「大切なことばの倉庫」に保管されているのです。


それは 勇気や希望を持つための こころの中の「宝箱」なのです。 







「耳の痛いこと」など  本当は それほど 大きなことでは ないのです。


それを超えるくらいの 大きな「愛情」を伝えたらいいのです。(げんき)






   厳しい人になる必要はありません。 厳しいことを超えるような「愛情」を持った人になればいいのです。(げんき)