その444)「ごめんね」と「いいよ」の間にあるものを教えてあげるのです。



職場の同僚と少し 気まずくなってしまったり、、


友達や家族と喧嘩をしたり、、、


保護者を怒らせてしまったり、、、



人と人とが生きていく上で、 時には 「けんか」や「気まずさ」も あります。



こどもには、あっても 、、、大人は、ちょっと、、、、


そんなことは ありません。




大人だって、時には 「けんか」や「気まずさ」が あってもいいのです。



 



今は、メールもあるし、LINEや 他のSNSを通じて 


「ごめんなさい」と 謝ることも すぐにできます。




思い立ったら すぐに 伝えることができるし、


相手も すぐに 受け取ることができる。


そんな便利な時代 です。







こどもたちが けんかをしたとき、保育の現場では、


保育者が 間に入って「ごめんね」と 相手に伝えてもらうことが あります。





「ごめんね」

「うん、いいよ」




まるで 合言葉のようです。  「ごめんね」「うん、いいよ」




ある園長先生とお話をした際に、


「ぜんぜん よくないのに、、まるで機械のように ごめんね、いいよ になるのよね。」


「いやなら、いやでも いいのにね。 だから あとで怒ったりするのよね、、、。」





「ごめんね」

「いや、ゆるさん」



それでも 本当はいいのです。



というより、 それが自然なのかもしれません。





「あやまる」ことを 教えることは とても大切です。





でも、「あやまる」とは


本当は、 自分のこころの中の葛藤や複雑な気持ちや妥協、そうした思い を


まず 体験することが 大切なのです。




「あやまる」という「行為」をすることではなく、


「自分のこころの中で気持ちに向き合うこと」



これが 「あやまる」なのです。




こころに向き合えば、、やっぱり すぐには 許せないこと。


すぐには、謝れない、、今は 謝れないことも あるのです。







大人同士の関係も 同じなのです。



「あやまる」という「行為」は、LINEやメールで あっというまにできます。




でも、本当の「あやまる」とは、


「自分の中での気持ちの葛藤と向き合う」体験です。




先に あやまってしまったけれど、、


なぜか、悶々としている・・・・・、なんか気持ちがスッキリしない・・・





それは、「あやまっていない」 のです。






「ごめんね」 と 「うん、いいよ」の間には



本当は 大切なものが 隠れているのです。 (げんき)





  「ごめんね」は、考えて考え抜いた 自分の結論です。 だから相手が許してくれなくても

  仕方ないと思えるのです。相手が許してくれないと逆ギレするのなら、謝っていないのです。(げんき)