その464)学童期こそ「保育」が必要なのです。



夏休みに入る前に、学童保育の先生の勉強会がありました。


そこで、質問を頂きました。



「保育というのは、こどもの世話をするということなんですよね。


学童期のこどもの世話が 学童保育で いいんですよね。」



という ご質問でした。







「保育」=「こどもの世話をする」





「保育の場面」を見たとしたら、 そのように見えるのかもしれません。


保育者が こどもたちと触れ合う場面を見ると


もしかすると 「保育は、こどもの世話をすること」に見えるのかもしれません。





「見えていること」 と 「本当の目的」



 実は、違うことが多いのです。




本来の「保育の目的」は、


「こどもたちの世話をする」や「こどもと遊ぶこと」ではなく、



「こどものこころを育てること」



これが 「保育」の目的です。





園庭で 単に 遊ばせて その安全を見守ることが 保育ではなく、


園庭での遊びの中で、その一場面ごとに こころを育てていくこと。



これが 「保育」の目的です。





「保育」というのは、「自分のこころに向き合ってもらう働きかけ」なのです。




「これって、どうして こっちの方が大きいの?」


「このパンダさんは、今 どんな気持ちだと思う。」


「どうやったら おともだちは よろこぶかな?」


「みかちゃんは、どうして この模様がすきなの?」




その質問の後にくる こどもの「それはね、、」に続く 自分の世界。




そして、「そうなんだ。じゃあ、きっと もうすぐ これは こうなるんだね」



そうやって 先生とのやり取りの中で、



「わたしは、○○だと思っているんだ」とこころの中で 自分に向き合うこと。



これが「保育」の場面です。






保育所という場所には、この「こころと向き合う」たくさんの場面があります。




でも、、学童期に入ると この場面は 一気に少なくなっていくのです。



「保育」は、本当は「学童期」に必要なものです。




「学童期」に 自分のこころと向き合う場面が多ければ多いほど、



「思春期」に入って、自分の気持ちや怒りを適切な形で 表現することができます。





僕は、中学生、高校生の子たちの「適応障害」の認知行動療法を行なっていますが、


感想としては、「学童期」に「自分のこころと向き合う場面」が極めて少ないと感じています。





実は、「学童期」こそ、「保育」が必要なのです。(げんき)





 「保育」をよく「こどもと遊んでお金をもらえていい仕事だね」とおっしゃる方がいらっしゃいます。

  いつも「あー、そう見えているんだ」と思って、「褒め言葉」として受け取っています。

  飛行機のキャビンアテンダントさんに、「毎日旅行して、お金もらえていい仕事だね」と伝えることと

  同じようなことなんだと思います。(げんき)